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   <title>3062	小豆沢	の日記</title>
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   <title>ポケモンの発売</title>
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   <published>2009-07-02T03:58:12Z</published>
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      <![CDATA[1996年当時、ゲームボーイに限らず携帯型ゲーム機市場は停滞状態を迎えていた。ゲームギアなどカラー表現が可能な後続機種もほぼ終息状態にあり、テレビゲームには「次世代機」と銘打ってプレイステーションやセガサターンが登場し、発売から丸6年が経っていたゲームボーイは次第に時代遅れと見られ始めていた。事実、『ポケットモンスター』発売直後の時点で、GBにて発売が予定されていたゲームソフトはわずか3タイトルである。

市場にはRPGだけでも既に多くのゲーム作品が発売されており、ゲームボーイでリリースされる『ポケットモンスター』も大きな期待を持たれない存在であり、初回出荷本数は23万本強に過ぎなかった。また、2色同時発売という販売手法は、当初はあこぎな商売とすら揶揄された。しかし、「収集、育成、対戦、交換」というゲーム要素は、徐々にユーザーたちの支持を得ていき、さらにユーザー間のコミュニケーションにより加速。制作側の期待や予測を越えた爆発的な好循環を生んだ。販売本数はゲームボーイ向け『赤・緑』系全体で最終的に1000万本を優に超したとされている。

「ポケモン」の納期は当初1991年末だったが、RPGの開発経験不足や「交換する」という動機付けに手間取り納期を超過した。その上不足する資金を補うため他のゲームを開発するなどの理由で開発はしばしば中断された。1995年頃までに、『MOTHER2』を制作したエイプから新会社クリーチャーズの社長に就任した石原恒和（現・株式会社ポケモン代表取締役社長）が全体をまとめて方向付けを行う役を担うようになり、またゲームフリークと開発委託契約を結んでプロデューサーとして数々の企画を任天堂などへと提案していく火付け役ともなった。そして当初から開発を支援した任天堂も、完成をねばり強く待ち続けた。

ゲームフリークの制作陣は、当時まだろくに着目されていなかった「収集、育成、対戦、交換」という要素を徹底的に遊ばせようという方針を定めていた。ポケットモンスターに盛り込まれた、ゲームボーイの通信機能を活用して「別のソフトとの間で通信を行わないとポケモン図鑑が完成しない」「（強制ではないが）自分が育てたポケモンで友達と対戦できる」という仕様はその方針を支える為にある。 また個々のプレイデータには個別のIDと主人公の名前が与えられ、所有するポケモンに対して「親ID」として働き個々のポケモンをさらに個性化する、という仕様も持たせた。当初はプレイヤーIDによってソフト1本毎に登場するポケモンが異なるという仕様だったが、複雑になりすぎるということで任天堂の宮本茂の提案により2種類に分けて発売する手法が採られた。また当時の主流に比べかなり大容量のバックアップメモリを搭載する仕様に切り替える事で、150種類全てのポケモンの保存が可能になった。そして1995年12月21日の発売予定を1996年2月27日に繰り下げた後に、開発開始から6年経って『ポケットモンスター 赤・緑』は発売を迎えた。

『ウィキペディア（Wikipedia）』引用

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